完全無所属、介護しながら初当選!
平成31年4月の茅ヶ崎市議会議員選挙に向けて、出馬を決めました。
完全無所属、バックの団体は一切なし。そして、母を介護しながらの初出馬です。
選挙のために党の公認をもらうような、自分のアイデンティティを引き換えにするようなやり方はしたくなかったのです。
何もかもを自分で調べて、考え、選挙の準備をしていくのは、精神的にも体力的にも過酷です。
私は私でありたい、慣れてはいけない、自由でいたい。
背中を押してくれたのは、むしろ介護を必要としていた母でした。
そして、たくさんの方から応援を頂いて当選できました。
あの下積みがあったから
ただ、それなりの下積みはしていたと思います。
茅ヶ崎ゴルフ場の開発問題などをきっかけに、週に何日も市役所に足を運び、審議会や議会の傍聴、説明会や勉強会に参加して、裏付けとなる資料は情報公開請求などで調べて、自分で考えてみる。
それを4年ほどは続けていました。(議員の任期でいえば1期分ですね。)
事例によっては、現職の議員より調べあげて、資料もありましたから、議員になってからの一般質問などもすぐにこなせていったと思います。
注目を集めた「財政」チラシ
選挙に向けて、チラシは6種類作りました。
自分なりに何年間も調べて、裏付けをとった情報をもとに作ったのです。
レイアウトは美大のときの友人が感性豊かに作ってくれました。
そのなかで、特に財政を扱った『知ってビックリ茅ヶ崎財政』がとても好評でした。
選挙カーをとめて「あれはよかった!」と言ってくださる方、「全種類バックナンバー読みたい」と言ってくださる方、市民に向けて発信される情報の少なさを痛感しました。
チラシ(市政情報)をリュックに詰めて、自分の足でも配ったかいがありました。
「財政運営の転換」の公約は私だけだった
茅ヶ崎市の財政状況は、本当にせっぱつまっているのに、なぜ誰も取り上げないのだろう? と不思議でした。
この時点では、他の候補者は誰ひとりとして、茅ヶ崎市の厳しい財政状況を取り上げていなかったのです。
もう一つの私の公約は、「情報を伝えていく」こと。
茅ヶ崎市がますます情報を出さなくなっているなかで、情報を求める市民の方は多かったのです。
日本の選挙は化石ですね
選挙が告示されると、各候補者は市内350ヶ所にある看板に、いっせいにポスターを貼りに回ります。
「今の時代に、何でこんな非効率なことするの・・?」
おそらく、昔ながらの人海戦術のできる政党候補者が有利になるように残されているんでしょうね。
新人の候補者や、子育てしながら、あるいは私のように介護しながらの女性議員を増やしたくないとしか思えません。
穏やかな春の早朝、選挙カーで畑の道をいくと、ポスター貼りを手助けして下さる方々が手を振っていた光景は忘れられません。
場所によっては、崖っぷちよじ登るみたいな位置に看板があります。
ポスターを貼って頂いた方々に感謝です。
選挙カーは板挟みの選択
私の選挙カーのうぐいすさんは、好感が持てるアナウンスとお褒めを頂いた一方で、住宅街では音が迷惑とのお叱りも頂きました。ご自宅で療養されている方もいらっしゃるのです。
選挙のたびに「うるさい」の代名詞である選挙カー。
最終日の茅ヶ崎駅前など、絶叫が飛び交い、確かに異様でした。
私たちもできれば使いたくない、他の方法はないのか、板挟みのなかでの選択でした。
写真撮るのも忘れて、最終日の夜に撮影した選挙カー
選挙事務所は台所
おそらく、選挙事務所もまた、昭和の黒電話の時代の名残でしょう。
今は携帯、ファクスがあるので、市長選でさえ選挙事務所なしだったり、ガレージを使う候補者もいます。
それなら、昔の選挙方法をいっそ逆手にとればいいと判断。
選挙事務所は台所でいい。
学生の合宿のようなチームワークで乗り切った、少人数だから出来た選挙活動でした。
駅立ちへの違和感
選挙が近くなると、毎朝、駅に立って出勤する人たちに挨拶をする候補者は多いです。
だいたい平日の午前6時~8時ころ、或いは夕方に駅に立つのですが、この時間帯は子供の弁当を作って学校へ送り出したり、介護でデイケアの準備をするなど忙しい。駅に立ってる時間など取りようがないです。
子育てや介護を他人に任せられるから出来ることです。
こういった古いシステムや発想が、育児や介護をしている女性議員の誕生も阻んでいるのは確かです。
令和元年4月の選挙では、茅ヶ崎市議会は9名の女性議員が誕生して、議会に占める女性の割合が32%となりました。県内の市では、鎌倉市、逗子市に次ぐ第3位です。
でも、他国に比べると、日本は女性の占める割合が本当に少なくて、女性のいない市議会が6%、町村議会では33%もあります。